管につながる女
デンセンセイタンカクキュウショウと読む。
これが、私の病名だった。
何の病気かも、どこの病気かも、分からん。素人の私にとっては、最初は何と読むのかも分からなかった。
実は、私の病気が確定したのは、入院して2週間以上たってからのことだった。
入院当初は、肝臓の数値が異常に高かったため、「肝炎」ということで緊急入院をし、精密検査を受けていた。
「肝炎」・・・聞いたことがある。が、相当ヤバそうだ。
高熱でほとんど働かない頭でそう思っていた。
肝炎には大きく分けて3つあるらしい。A型、B型、C型とあり、C型が特に重度であると聞いた。
BとCは輸血などが原因で発症することが多く、私は輸血の経験がないので、食べ物などで感染をするA型の可能性が高いとされていた。
確かに「食べ物」には2つ思い当たる節があった。
私の名誉のために付け加えるが、「拾い食い」ではない。
1つは8月に行ったバリ島で食べた焼きハマグリ。
今回はじめて行った店だったのだが、漁師町のビーチで魚市場のように魚や貝が積み上げられており、それを量り売している。買った魚や貝はその場でバター焼きにしてくれて、満天の夜空の下、ビーチの下で食べるのだ。
ことにハマグリが安くて旨かったため、結構な量を食べた。
実は、その食べた日の翌日、バリに同行していたK嬢が腹をこわしていた。
あの時は「食いすぎだよー」と笑っていたが、2ヶ月遅れで自分のところにシッペ返しがやってきたのか・・・?
もう1つは、とあるバーガーチェーン店のチーズバーガーを食べたときだった。
11月頭に、ふと夜中にチーズバーガーが食べたくなって買ってきてもらったのだが、変な味がしたのを覚えている。
あの時は、自分が調子が悪かったから、味を変に感じただだけと思っていて、特に気にもとめていなかった。
さて、どちらだろう・・・?
入院してからしばらくは「ハマグリ」vs「チーズバーガー」による「激論・どちらがA型肝炎を起こしたか?朝まで生病院」を頭の中で繰り広げていた。
が、結論から言うと、どちらでもなかった。
肝炎ではなかったのである。
肝炎の型を調べる精密検査を受けていたのだが、Aでも、Bでも、Cでもないことが判明したのだ。
最初にAでないことが判明したため、「もしかして、残る2つのどちらかなのか・・???」と生きた心地のしない数日を過ごしたが、肝炎自体の可能性が消え、入院してから2週間後にやっと単核球症と確定された。
血液検査の結果、異常リンパ球というのが見つかった。また、入院直後から異常に扁桃腺が腫れ、高熱が続いた。これらが手がかりとなって、病名が確定したのだが、私の場合は、肝炎と思えるほど肝臓の数値が異常だったため、確定が遅れてしまったらしい。
個人的には、病名はどうでも良かった。
ただ、問題だったのは、水飲むのもつらい扁桃腺の腫れと高熱に悩まされ、それのための強い抗生物質は病名が確定しないと投与したくても投与できないと言われており、その都合で早く病名を確定して欲しかった。
入院して約2週間の病名確定までの間、どんな病気にも効く=弱めの抗生物質が投与されていたので、痛みに劇的な効果がなく、ホントつらかった。
確定してからは、それにあった強い抗生物質を点滴で投与してもらえたので、数日後には食事が摂れるまで扁桃腺の痛みが回復した。
この扁桃腺の腫れによる咽頭痛には、ほとほと参った。
もう二度とこんな思いはしたくない。
私の場合、右側の扁桃腺がパンパンに腫れており、膿んでしまっている状態だった。
何もしなくても鈍痛が、何か飲み込むと激痛が走った。
「飲み込む」には当然唾液も含まれる。つまり、一日に何度も激痛が走る。
唾液すら飲み込みたくなかった私は、意識的に唾液量を調整して、一日に飲み込む唾液の量を最低限に抑えるという、地味な戦いと努力をした。
結果的に肝炎ではないことが判明してから、薬の内容もその病気に適した強い薬が投与されるようになり、徐々に回復に向かっていった。
思えば、一日の大半を管につながれていた。
点滴は一番ピーク時で一日5本やっていた。
500ml×3本が肝臓の数値を下げる薬。1本あたり3~4時間なので、これだけでも12時間。
その他、扁桃腺の腫れをひかせるための点滴が2本。これが1本あたり約1時間だったので、計2時間。
つまり、14時間も管につながっていたことになる。えらいこっちゃ・・・。
あまりに毎日点滴をされ続けていたので、血管は細くなり、手には無数の刺し後ができた。
手のひら、手首、ひじの裏・・・ありとあらゆるところから管につないだ。
なんだか、メカっぽかった。人工ロボット気分だった。
飯は食えず、この管から栄養を受け取り、生きている。
なんだか、すごく悲しくなった。
会社で疲れがたまっていて、それでも休めないとき、何度も「あからさまに病気になんないかなぁ・・」なんて思っていたが、やっぱり健康が一番いい。
もっと言えば、健康で休めるのが一番いい(笑)。
最初は点滴を持ちながらの移動や作業に馴れずに、何度も点滴の針がずれてしまったり、血液が逆流したり(点滴の袋をうかつに心臓より下に下げてしまうと、血液が管を通って逆流します)と不便な生活が続いていたが、1週間くらいたつと、平気で管とお付き合いできるようになった。
トイレにも一人で行けるようになった。
管を気にせず、寝ることもできるようになった。
こんな感じで成沢ロボット1号は入院生活を送っておりました。
今、こうして「管」といううっとおしいものがなく生活できる【コードレス状態】は、あぁ、なんと幸せなことか。
【有線】の経験をしたものだけがわかる、コードレスのありがたみ。
電話も、そして人間も。
■今日のカメ
◆去年のクリスマス
12月24日に退院をしたので、入院中の1ヶ月間のうっぷんを晴らすかのようにホールケーキを買いました。
退院後のケーキは格別ですな。
◆肉、食いてー!
成沢家では、毎年クリスマスにチキン丸々一匹を買います。
入院中は何かと肉には縁遠かったので、これまたうっぷんを晴らさせていただきました。