5年目
ママが亡くなってから、もう今年で5回目の秋を迎える。
実は、色々と想うところあって、今年ついに引越しをすることに決めた。
今の家はママと一緒に住んでいたマンションに、そのまま一人で住んでいる。
ママがいつ戻ってきてもいいように、ママの部屋もそのままの状態にしてある。
2つ部屋があり、そのうちの1つは全く使われていない状態にあった。
いつか戻ってくると思っていた。
戻ってくると思っていたから、ママの部屋には手をつけなかった。
でも、本当は戻ってこないことも分かっていた。
分かっていたからこそ、手をつけたくなかった。
部屋に手をつけた瞬間、自分自身で『戻ってこないこと』を肯定してしまうのが怖かった。
今年、5年目の命日を迎えた。
来年は6年目で、7回忌をしなければならないらしい。
「らしい」というのは、私は7回忌は7年目にするものだとずっと思っていたのだが、今年の命日にたまたま連絡をしたママの友人であるおばさんから「来年は7回忌しないとね・・・」と言われ、そのとき初めて知ったのだ。
そんなことも分からない、何も分からない状態で、ただただひたすらこの5年間の毎日を生きていた気がする。
何でもできた素晴らしいママに頼って、ママに任せていれば安心だった。
でも、その安心も5年前になくなり、ゼロからすべてを出直した。
自分で覚えて、自分で学んで、【自分】で生きていくことの大変さを感じた。
「親元離れて一人暮らしをしています」、そんなもんじゃない。
【一人で暮らす】のと、【一人で生きる】のは雲泥の差がある。
【一人で暮らす】人も一人で生活する中で色々と苦労はあるだろうが、その人の後ろにあるものは、たとえ暗闇だったとして陸が続いている。
しかし、【一人で生きる】人の後ろにあるものは、崖なのである。
崖に立って、5年。
どうやら少し崖で立つことに慣れてきたようだ。
仁王立ちで前を見て、進みもせず、ただただその場に足を踏ん張る。
そんな毎日の中で、最近は後ろの崖を気にせず、足を動かしたり、よそ見したり、時にジャンプしたりするようになった。
「生まれた街を離れて、新しい場所に行ってみよう。」
ふと、そう思った。
後ろが崖であることは一生変わりない私の運命だが、どうせそういう運命なら、見える景色が違う、新しい崖に立ってみようと思った。
生まれた街、ママと住んでいた家を離れる今回の引越は、私にとって大きな意味を持つ。
引越にあたって、今まで手をあえて付けなかったママの部屋にも手を付けることになり、今まで捨てられなかったママのものもたくさん捨てなければならなくなる。
良いか悪いかは分からない。
ただ、「新しい場所に行ってみたくなった」気持ちに素直に従った。
墓前でママに引越の報告をした。
「りえは引越することに決めたよ。」
ママはびっくりするかなぁ・・・と思っていたけど、もうそれを知っていたかのように、楽しそうな顔をしていたような気がした。
■家はゴミの山
服や食器、はたまた小学生の時の教科書など、すごいゴミが出た。
最低限持っていくモノ以外はかなり捨てているのだが、捨てども捨てども減らず。。。
■外もゴミの山
マンションの前がゴミ捨て場になっているのですが、全部うちのゴミで山ができています。
今日だけでもざっと東京都指定ゴミ袋70リットルで20袋くらい捨てました。
■たからもの
押入れの奥から、こんなのが出てきました。
箱に「たからものいれ」と書かれていました。
私が小学1年生くらいのときに、ずっと大事にしていた箱です。
■中身は・・・
開けるまで自分も中身を忘れていたのですが、色とりどりのおはじきでした。
そういえば、この頃おはじき集めていて、いつもどこに行くにも持ち歩いていたなぁ。
こんな思い出の品が続々出てきて、出ては中断して思い出に浸ったりしてしまうので、引越準備一向に進まず・・・。