バカはバカ山へ
ICUは、東京都三鷹市の森の中にある。ウソではない。本当に森の中にあるのだ。元ゴルフ場で、敷地の半分は「野川公園」として東京都に寄付をした・・・と在学中に聞いた。
仮に半分寄付していたとしても、敷地はすごく広い。鬱蒼とした広い広い敷地の中に、校舎、図書館、学食はもちろんのこと、その他にも国際基督教大学付属高校、教会、考古学博物館、茶室、竹林、数面のテニスコート、広いグラウンド、教授達の家、3つの男子寮と4つの女子寮などなど盛りだくさんであった。
授業帰りに、今起きてきたかのような寮生とすれ違うこともしょっちゅう。どこかの外人の先生のお子様だろうか、小さな金髪の子供が敷地を掛けっている姿もしばしば。学業施設と居住空間が同居している学校だった。
余談だが、この付属高校からエスカレートで大学に入った生徒を、ICU生は「ハイ上がり」と呼ぶ。「ハイスクールから上がってきた」からである。
こんな「ICU用語」がいっぱいある。ICUには「一般教養学部」しかなく、その先が枝毛のように教育学科、言語学科、社会科学学科などと分かれているのだが、教育学科は通称「エデュケ」、言語学科は通称「ランゲ」と呼ぶ。それぞれ、教育の「Education」、言語の「Lauguage」からきている。
「どこ?(どこの学科?)」と聞かれて、「教育学科です。」と答えてしまうと、フレマン(1年生の意の「Fresh man」)かICU初心者と思われる。そこは堂々と「エデュケ」と答えるのが通である。
他にも、4年生を「シニア」と呼ぶのだが、居心地良すぎて自主的な意向による留年生が多いICUでは、5年生、6年生はざらであり、4年生「シニア」からもじって、5年生を「ゴニヤ」、6年生を「ムリヤ」とか言っていた。
「週刊SPA!」では、「何もかもがアメリカです」と書かれていたが、確かに要所要所にアメリカンな感じはあるかもしれぬ。在学中はほとんど気にしてなかったが。
ちなみに在学中に2回、野タヌキを見た。マジ話である。1回目は茶室の裏で、2回目は高校の前であった。猫ではない。カオも、しっぽも、マジでタヌキである。そんな学校だった。
「週刊SPA!」の方はバスで行かれたらしいが、通学生の多くは中央線「武蔵境」の駅前自転車置き場にマイ・チャリを置いて、通学している。私もそうだった。バスはなかなか来ない上に、時間も金もかかる。自転車だと猛ダッシュで10分くらいだ。
ICUで生きていくために不可欠なものを「英語」以外にもう1つと言われたら、やっぱこの「自転車」だろう。自転車の存在は大きい。広い敷地を旅するには自転車が必要不可欠である。
ICUへ行ったことがある方はご存じかもしれないが、正門をくぐって、本校舎に着くまで歩いてゆうに15分はある。正門から遠くに見える教会までまっすぐに延びている直線道路は、俗に「滑走路」と呼ばれているほどである。事実、本当に滑走ができてしまうほど距離がある。
SPA!を読むと、「『国際基督教大学行き』のバスに乗り遅れて、『狛江営業所行き』の富士重工前で降りた」と書かれている。きっとスゴイ距離を歩かれたことと思う(笑)。
解説すると、ICUの正門を前にして左に富士重工がある。広い敷地同士のご近所さんである。キリ大行きのバスはちょっと本数が少ない。特に、朝と夕の通学ラッシュ時以外の普通の時間帯は、1時間に数本である。
キリ大行きバスに運良く乗れると、正門を入って滑走路の約半分までバスが乗り入れてくれる特典がある。しかし、運悪く乗り遅れると、この狛江行きというバスに乗って、お隣さんの富士重工前で降りて、滑走路を「滑走」ではなく徒歩で延々歩くこととなる。
ICUでは、そう言った意味では遅刻のあきらめがつきやすい。滑走路を目の前にして、どうがんばってダッシュしても間に合うわけがない。息が続かない。そんなマラソンできる肺もない。なので、自転車がなければ、ココロ穏やかに滑走路を優雅に歩き、遅刻を認めるしかないのである。
体育の授業があるときも非常に自転車の存在は大きい。本校舎から体育館までこれまた歩いて10分弱くらいある。2時間目と3時間目の短い休み時間で、「移動」および「衣装替え」もしなければならないのだから、体育がある日は自転車に乗らないと間に合わない。
終了のチャイムとともに校舎横の自転車置き場にダッシュし、自転車に乗り換えて体育館まで行き、そこで自転車を乗り捨てて、ダッシュで更衣室に入り、衣装替えをして、先生のいる部屋「ゴール」を目指す。まさに、トライアスロンである。
さて、もう1つ、土地的なICUの特徴として、「バカ山」の存在があげられる。ICUを語る上で、「バカ山」なくしては語れない。それほど、学生と近い存在の場所であった。
では、「バカ山」とは何か?
本校舎の目の前は一面に広がる芝生で、そこに2つの山がある。「山」と言っても、山ではなく、実際は「丘」程度のものである。
校舎を正面にして左手を「バカ山」、右手を「アホ山」と呼び、学生たちが芝生に寝ころんで本を読んだり、勉強したり、友達と話をしたり、お弁当を食べたり、それがICUのいつもの風景である。思えば、ちょっとアメリカンかもしれない。
名の由来は、「その山付近で学生がバカのようにダラダラしている様」から取ったと在学中に誰かから聞いたが、真偽のほどは定かではない。
が、「バカ山」という名がピッタリなほどみんなそこでダラダラしている。
芝生には、直に座ったり、寝ころんだりする。森の中にあるだけあって、芝の手入れは丹念にされており、寝心地が良い。そんな大学なので、構内でヒールにミニスカートにシャネルのような「お姉さま」風女子はほとんどお目にかからない。基本はみんなバカ山で寝れるように、ジーンズ。セーターとかに芝が付いても、気にしない。そんな感じであった。
私は、基本的にアホ山よりバカ山の方によくいた。別に理由はなかったのだが、今思うと、気が付いたらバカ山だった気がする。
近所でもバカ山の存在は有名で、近くのドミノピザに注文するときも「ICUのバカ山に・・」で通用する。何度か友達と注文をして、芝生でゴロゴロして、ピザ食いながら、宿題をやっていた。
バカ山の思い出として、バカ山でクラスみんなで集まって飲み会をやったこと。夕方スタートで、近所の酒屋やコンビニから酒と食料を調達してきて、ギター弾いている人がいたり、芝生の上で宴会。気が付いたら、全然違うクラスの校内に住んでいる寮生もまじって、大人数で宴会。
夜が更けて、さすが森だけあって、上は満天の星空。若干寒さを感じ、気が付けば終電がない時間で、寮生に頼んで毛布を持ってきてもらい、芝生の上で数人で寝た。
そんなこともあったなぁ・・・。思えば、あれが我が人生初めての「野宿」であった。さすがに、親には「芝生の上で野宿です」とは言えないので、「友達の家に」とは言ったが。
こんな大学時代でございました。
つづく。
今日のネバネバメロンなカメ。
●もらっちゃった!
成沢家にメロンがやってまいりました。北海道のお土産です。えへ。
●メロンと私
記念撮影です。はしゃぎすぎ。人生の大事なことは写真を撮るか、メモるかしないといけません。なんせ、思ひ出ですからね。
●ネバー
納豆はお好きですか?納豆食べてますか?
納豆が好きな一家だったので、よく食卓に出てきました。クサイのに愛されるなんて、コイツとくさやくらいなもんですね。良質たんぱく質ですので、健康にもお肌にもいいですよ。


