被災地・気仙沼へ行く。④ ~消えた南気仙沼駅へ~
気仙沼を車で南下し、南気仙沼駅があった周辺へ。
「あった」と書いたのは、「ここが駅です」と教えていただいた場所には、
ただただ荒れた土地が広がっているだけで、
駅であることを教えてもらわなければ、全く分からないほどだったからだ。
北側の鹿折地区で見た「鹿折唐桑駅」は、まだ駅の看板が残り、
線路も、ホームもあったので、駅だと認識できたが、
南気仙沼駅は、丸ごと消えてしまった。
気仙沼の南側は、埋立てにより作られた地域で、
海の津波と、川の洪水の両方に挟まれ、飲みこまれてしまった。
今も土地から水が噴き出しているところがたくさんあり、
地盤沈下をし、ぬかるんでいる。
被害状況を表す地図を見せてもらった。
すると、津波による被害を受けた地域と、そうでない地域の境界線は、
埋立てにより出来た地域と、昔からの土地の境界線とほぼ一致していた。
地球の力、自然の力の前に、人の力は及ばない。
荒れた土地に立ち、ただ呆然とするだけだった。
■今日のカメ
■気仙沼南側の様子
海岸に沿って、広範囲で埋め立てられた土地。水産加工工場がたくさんあったらしい。今は見る影なく。
■カラスの大群
倒壊した水産加工工場に群がる無数のカラス。
この周辺は、震災後の水産加工工場の処理がまだ十分にされておらず、異臭もすごい。魚のニオイに寄せられているのか、黒いカラスの群れと鳴き声が異様。
■神社跡①
地域の守り神様を祀っていた神社も津波で流され、その跡地に、地域の人が手作りで鳥居を作っていた。
■神社跡②
お堂もなくなり、小さな祠があるだけ。
■魚市場跡
震災のちょっと前に作られたという、新しい魚市場。それも震災の影響で、すべて崩れてしまった。
■フカヒレ工場①
世界的にも有名な気仙沼のフカヒレ。その工場も甚大な被害を受けました。
■フカヒレ工場②
ここの工場のオーナーさんは、復興への希望の星となるべく、今もフカヒレを作り続けています。
周りには何もなく、広い荒れた大地に干されているフカヒレ。いつの日か、ここにまたたくさんのフカヒレが干されていくことを願う。
■南気仙沼駅①
「この辺が駅でした」と教えられた場所には何もなく、駅と言われるまでは全く気が付かなかった。
■南気仙沼駅②
駅前ロータリーだった場所。壊れたバスが今もそのままに。
■南気仙沼駅③
バスの壊れ方がひどい。ぐちゃぐちゃだ。震災時の状況を物語る。
■南気仙沼駅④
駅のホームだった場所。かすかにホームのような真っすぐ伸びたコンクリートが見える。
■南気仙沼駅⑤
駅周辺に停まっていたと思われるタクシーや乗用車の山。
■ガレキの山①
気仙沼のガレキを集めている場所を見に行ってきました。
木材、鉄、布など、分別されて積み上げられた山が無数にありました。処理能力をオーバーしていて、今は集めるだけで精一杯の状況。
■ガレキの山②
こんな山が無数にあります。気仙沼だけでもこれだけあって、被災地それぞれにもっともっとガレキの山があるはず。
健康、環境、風評・・・よそのゴミを受けて入れたくないというのは分かるが、この山を実際見ると、みんなでやらなきゃダメだ、という気持ちに改めてなります。
どうか受け入れ先が増え、少しでも復興のスピードアップになるように。